企業文明の外 3
スタインベックの小説『怒りの葡萄』(1939年)では、オクラホマ州の小作人(オーキーズ)一家が生まれた土地を追われて、カリフォルニアへと放浪する悲劇が描かれました。
南部の貧農、とくに小作農の生活は悲惨を極めていました。
南部には1930年に850万人(うち300万人は黒人)の小作農がいて、南部人口の4分の1を占めていたのです。
彼らは通常2部屋か3部屋のぼろ小屋に住んでいましたが、間仕切りも、ドアも、水道も、電気も、衛生的な井戸もありませんでした。
彼らが食べるものは塩づけの豚肉、小麦粉、とうもろこし粉、糖蜜、乾し豆にすぎなかったのです。
これら多くの小作人には現金収入がありませんでした。
彼らの1932年の平均年間収入は、一世帯あたり105ドルほどでした。
このように大恐慌に直面して、アメリカ国民は貧困と失業に打ちのめされたのでしたが、社会的な観点からみると、1930年代は大衆文化の転換期であったということができます。
ルビーンはこの10年間について、『大恐慌時代の大衆文化』のなかで、次のように述べています。
「・・・大恐慌の10年間を通して見られることは、個人や社会や仕事や流動性に対する伝統的態度が、まさしくあらゆる階層の人びとによって、さまざまな文化のジャンルのなかで、強い確信をもって表現されていたということである。
しかし、この10年間の表現文化が、またこのような価値観が、変化をこうむりつつあった、微妙だが重要な行き方を示す決定的な指標となっているというのも、同様に事実である・・・」。
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