ラジオ産業を支配する者 3
ラジオは1930年代から40年代にかけて、娯楽番組を中心として、よくも悪くもアメリカにおける大衆文化の形成に大きな役割を演じました。
同時に第二次世界大戦の足音が近づくにつれて、別の意味でラジオはその重要性を増していきます。
ローズベルト大統領はその就任早々から世論指導の上でのラジオの役割を生かし、有名な「炉辺談話」で大衆の人気を獲得しました。
さらにヨーロッパやアジアでの戦局が緊迫の度合いを増すとともに、報道番組や時事解説が重要な役割を演ずるようになり、戦争が始まると、当然のことながら、各家庭の必需品となったのです。
しかし、ラジオ放送業界は、ミシガン州立大学のアメリカ文化史研究者のラッセル・ナイもいうように、もはや欄熟期に入っていました。
「・・・1935年から50年までの間にラジオは富と力を手に入れ、大衆に迎えられ、最盛期にあったのである。
実際面からいえば、何ひとつとして新しいものが発明考案されたわけではなかった。
番組の大部分は映画、舞台、小説などから幾世代にもわたって大衆芸術の支えとなってきた同じ素材を、ラジオという新しいメディアに適合するような形に鋳込んで巧みに利用し、転用していたにすぎなかった。
ラジオは古いものを新しい方法でやり直しているだけでしかなかった・・・」。
ラジオはこのころになると、1000を超す局が年間750万余の番組を放送していましたが、これを1日にしてみると、2万2000の異なった番組が流されていたことになります。
しかし、前にもあげたラジオの父ともいうべきフォレスト博士はいっそう絶望的な調子で、「文化と優れた音楽と、アメリカ大衆の知的向上のための有力な媒介となり得たと思われるもの」が、それとは反対に、一般の平均的知性を=2歳の水準にとどめておくための嘲罵の的」になり下がったことを慨嘆しました。
明らかにラジオに凋落の兆しが見えたのは、1948年のことです。
7500万台というラジオの所有台数に対し、テレビはまだ100万台にすぎなかったのですが、ある著名なラジオ評論家は、「この言葉は幾分かは疑わしく思っているのだが、これは一時代の終息と、別な一時代の始まりをしるすものだと言いたい」と語っています。
それ以後は明らかにラジオの衰退がはじまり、新しく登場したメディアのテレビにその王座を譲ったのです。